2025年10月から一時閉店していた、光が丘の老舗「冨澤家」が待望のオープンを迎えました。

場所は光が丘の「午房口(ごぼうぐち)」のすぐ脇。銭湯「浩乃湯」のほど近くに店を構える、地域に愛され続ける名店です。

昭和32年創業。肉体労働を支えた「濃い味・ボリューム」の理由

店内に入ると、テーブル席と小上がりが広がり、お昼時には近隣の会社員や地元の方々で活気に溢れています。

壁に目を向けると、一枚の古い写真が。昭和32年(1957年)に創業し、その翌年の正月に撮影されたという貴重な一枚です。

当時の店先はまだ砂利道で、裏手には山が広がっていました。宅地造成が始まったばかりのこの地には、多くの工事労働者が集まっていました。
「汗を流して働く人たちが、お腹いっぱい食べられる場所を作りたい」

そんな想いで始まった「冨澤家」の料理には、今もそのDNAが息づいています。 今回注文した「天丼セット(1500円)」も、その期待を裏切らないボリュームでした。




- ソバ: コシがしっかりしており、薬味のネギ、なると、わさびと共に手繰れば、抜群ののど越し。


- 天丼: 海老2本、レンコン、サツマイモ、ナス。真っ黒く濃厚なタレが染みた天ぷらは、まさに「食べ応え満点」の一言。

そばになるとが添えられていたり、汁物に卵が入っていたりと、随所に感じるサービスの良さ。「女性一人では食べ切るのが大変かも」というボリューム感も、歴史を知れば納得の「おもてなし」なのです。
95歳のおばあちゃんが語る「かつての景色」

お店には今も、95歳になるおばあちゃんが元気に立たれています。彼女の記憶は、私たちが知る現代の白子とは全く異なる景色を鮮明に映し出しています。
「昔はね、ここから東武東上線の電車の音が聞こえたのよ」


高い建物がなく、静かだった時代。かつて午房口付近に「花岡学園」やプールがあったこと、兎月園の賑わい、そして、決して忘れてはならない戦争の記憶。

学徒動員として江古田の音楽学校や成増飛行場の造成に駆り出された日々。B29と日本軍の空中戦。民家に機銃の弾が当たり、犠牲者が出た悲劇。今や住宅街となった赤塚新町の住宅街に、奇跡的に一つだけ残る掩体壕。

平和な今の成増・光が丘からは想像もできない光景が、おばあちゃんの言葉を通じて、まるですぐそこにあるかのように迫ってきます。
歴史を噛み締め

昭和、平成、令和。 時代の移り変わりと共に景色は変わりましたが、「冨澤家」の味と、そこに込められた「お腹いっぱいになってほしい」という願いは変わりません。

濃いめのつゆを纏った天ぷらを頬張りながら、かつてこの地を切り拓いた人々と、激動の時代を生き抜いた人々の記憶に想いを馳せる。そんな贅沢なランチタイムを過ごしてみてはいかがでしょうか。


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